一つの《右手》は人間でいう嘆息に近い感情をもちながら、戦いを眺望する。
《右手》は《左手》にぞんざいに扱われながら、彼らに蝕まれた空間を漂う。いつもの二倍か三倍は頑張りをみせたはずだ。だがいかんせん敵の数も多く、道を切り拓いて彼らを本当のスタートラインに立たせるだけで精一杯だった。そんな疲弊した《右手》を横目に、《左手》は不満で唸りながらも向かう敵を蹴散らし続けた。
光と闇が無遠慮に幅をきかせる広い戦場は、ファイター達の介入でいよいよ最終局面へと向かっていく。一つの計算違いが幾十もの絆を取り戻し、辿り着いた終点に《両手》は居合わせている。《両手》は絆の末端として救われた存在でもあった。
結末は近い。祈るまでもなく、《両手》は勝ちを確信している。そして同時に、自分の中に闘いに感じるソレとは別の高揚も感じていた。
──いい乱闘だな。
《左手》は声にならぬ言葉で呟いた。《右手》の指はぴくりと跳ねた。まさか《左手》に核心を先に突かれてしまうとは。
──ああ、いい乱闘だとも。
ふたりの前をファイターの紛い物が吹っ飛んでいく。吹っ飛んだ元を見るとデデデ大王が機械を展開したハンマーを全力で振り回して転んでいるところだった。紛い物に強引に埋め込まれていたスピリットが抜け出て、デデデ大王の元へと向かう。床にどてんと重たい身体を横たわらせながら、「おう、無事で何より」と笑って応えた。デデデ大王自身も何やらスピリットをいくつか侍らせて戦っているようで、彼の周囲にはスピリットと思しき光の珠が飛び交っている。ダークマターとはなかなか味わい深い選択だ。
デデデ大王は《両手》に手を振った。戦闘の高揚からか、いつもより大分素直な仕種だった。
キーラとダーズは遠くで互いにぶつかり合うことをやめない。ファイターのことよりも相反する存在が許せないらしい。いつかはどちらかに軍配が上がるのだろうが、どちらが勝ってもきっと同じ愚行が繰り返されるのだろう。
争いが増して《この世界》に光と闇が歪に混じり合っていく。時間の猶予が刻々と少なくなっていく表れであった。
──誰が彼らに引導を渡せる?
──誰が闘おうが問題はない。ファイターたちは皆一様に強いのだから。
──我々よりも?
──断じて認めたくはないが。
《右手》はデデデ大王を指でくいくいと誘い、他に手近なファイターをふたり呼んだ。ルフレとファルコだ。
何事かと首を傾げるファイターに構わず、《右手》と《左手》は指を弾いては次々と足場を作っていく。愚かな争いをしている光と闇へ向かう梯子の代わりだ。全てを察した三人は互いに頷き、空中戦ならお手の物なファルコを筆頭にして軽快に登っていく。
もちろん黙って敵が見過ごすわけもなく、小うるさい虫のように早速群がってきた。デデデ大王はあたふたとお腹を膨らませて必死についていきながら、ゴルドーの重い牽制を手当たり次第に打ち飛ばす。そんな彼をフォローするように、ルフレがエルウィンドを駆使し、器用にしんがりを務めていた。
《両手》はしばらく彼らの様子を見守っていた。ふと、《左手》は隣にいる《右手》の気配がふっと薄くなったかのように感じて、手先をくるりと《右手》の方に回した。
《右手》がうっすらと透けていく。泡沫のような魂のカケラがキラキラ輝いて漂っていた。
──先は長くなさそうだ。
──いつかそんな日が来ると薄々思ってはいたさ。
──少し……淋しくはあるな。
──どうせ直ぐ戻ってくるだろう。
返答はない。心の声も弱くなり、対話をすることもままならない。
《左手》も自分の中の力が抜けていくのを感じていた。スピリットに化身するまでもう少し掛かるだろう。せめてそれまでに決着くらいは観させろと、今はもう届きはしないほど上空にいる三人に念じた。
***
誰かの創造力がある日、小さな《右手》という実体をもって、机の上で気ままに遊びだした。
創造力がひとりでに、持ち主の見ていないところで持ち主のフィギュアを持ち出し、机に放り出し、鉛筆立てやライトを建物や障害物に見立て、フィギュアたちに戦わせる。自分も含め自我があるかさえも疑わしい幼稚で小さなままごと。
やがてその行為は現実のどこでもない場所に不思議な空間を生み出した。その空間に招かれたフィギュアは現実に戻ろうと躍起になっては、《右手》に歯向かって見事ぶちのめす。思い通りにならず、《右手》も躍起になり、再び戻してはフィギュアはまた挑み……。
そうしてフィギュアはファイターとなった。
やがて《左手》もやってきて、互いに自我が確立し、相応に賢さも芽生えて、あの現実から少し離れた空間はいつしか《この世界》となった。
ファイターは相変わらず自分たちに戦いを挑んで倒しては帰還しようとした。ひとりひとりの頻度は多いわけではないが、全体で括ればかなりの頻度になる。これには流石に《右手》も辟易した。《左手》は自由気ままに遊んだ。
あるファイターとの乱闘の最中、《右手》が今にもトドメを刺される寸前でふと《右手》は気づいた。その帰還をしようとする行為の中に自分への敵意はなく、一つのアトラクションのように彼らは嬉々としてフィギュアへと戻っていくらしいと。どうせしばらく経てばまた《右手》に《この世界》へ戻されるのだから、いつ帰ろうが自由だし、どうせ帰るなら帰る間際、挨拶がわりに《右手》と戦おうというのだ。全く彼らも変な自我をもってしまった。
《この世界》は拡がりを続けていった。新たなファイター、新たな遊び、新たな場所が生まれては乱闘がますます煌めき、乱闘はこの世界に不可欠な原理となった。たまに望まぬものも引き寄せては危機に瀕することもあった。それは《両手》にとってもファイターにとっても苦い経験だ。とはいえ、乱闘という原理を活かしながら今日まで《この世界》は生き永らえている。
《両手》の力以上に、ファイターが生き永らえさせたといっても過言ではないだろう。
《右手》や《左手》は突出して強いわけでは決してない。あくまで彼らはセッティング役なのだ。もしかすれば永遠にファイター達に乗り越えられる運命にあるかもしれない。
《右手》はマスターハンドと呼ばれ、《左手》はクレイジーハンドと呼ばれた。
***
強く瞬く光球と、冷たく凝視する単眸が身に纏っていた硬い翅と触手と共に崩れ去っていった。
光と闇がただ争う為だけに生み出された斑らの空間は、ガラスが割れるかのように粉々に砕け散り、剥がれ落ちた。
──《この世界》だ。
漂うモノもファイターに宿ったモノも皆一様に、思い出したかのように上へ上へと昇っていく。命の炎群が螺旋を描くその先には一筋の光条が待っていた。
《この世界》はいったん誰の手からも離れて、しばしの安らぎに浸らなければならない。《両手》の身体からは光の粒がぽろぽろと溢れ出し、段々と透けていく。ファイターたちも例外ではない。
長らく離れていた場所に帰るだけだ。一抹の寂しさはあるが、創造力が失われない限り、《両手》は懲りずにごっこ遊びをし続けるし、必然的にまた近いうち、《この世界》にやって来るだろう。
──さあ、お前たちも一緒に行こう。
キーラ、ダーズと呼ばれた「何か」は既に実体をも失いスピリットと化していた。争う力はもはや無い。結局彼らも《この世界》に生きる者に過ぎなかった。
《右手》は考える。我々を屈服させた上で、彼らが《この世界》で何を成そうとしたのかを。
結局のところ、彼らもまた黎明の我々と同じように気ままな創造力を発揮したかっただけで、その表現の仕方があまりに我々とかけ離れていたから一つの波乱を生み出したのかもしれない。今となっては互いに対話をすることもままならず、ただただ魂の川の流れに乗る一粒の光として、寄り添うことしかできないのが心残りであった。
《右手》というスピリットが世界の狭間を渡る寸前、そのスピリットはふと思い至った。
──ああ、ではそういう遊び方も次からは取り入れてみようか。《この世界》の流儀に即した、スピリット達の冒険のステージを創造しよう。
──とりどりの色たちが紡ぐ、冒険と乱闘の再現を。