目の前に広がる光景に、カービィは目を疑った。

――なんで?

 間違いなく、キーラはすべてを消し去ろうとしていたはずなのに、カービィの視界には豊かな一つの世界が横たわっている。何事もなかったかのように。深い霧がどんよりと立ち込めていて詳しい状況まではわからないが、《この世界》はまだ滅亡していないし、変に作り変えられてもいなかった。
 景色の向こう側には、キーラの本体が強い光を放ちながら静かに佇んでいる。
 キーラの周りにはうっすらと六角形の模様が並んだ防護壁がある。あの戦いで、皆が必死に協力して壊したのに、また元に戻ってしまったらしい。キーラに真っ直ぐ向かってやっつけようにも、アレはファイターひとりの力ではどうしようもない。
「……さがそう」
 カービィは独りごちた。その目は暗く沈んでいる。
 光に呑まれて目の前で消えていった仲間を思い出す。文字通り消えたのだ。どこを探せばいいのか、そもそも本当にどこかにいるのか……どこにもいなかったら? キーラはファイターや《両手》を滅ぼしたいと思ってたはずだから、跡形も無く本当に消したのかもしれない。
 こんなに静かな気持ちになったのはいつ以来だろうと、カービィはうつむいた。

 ぽん

「あ」
 頭に温かい何かが触れたように感じる。カービィは手を頭の上に伸ばしたが、何もない。感覚は一瞬だったけれども、実感は未だに残っている。
「デデデ?」

 早く来いよ

 カービィは失意に沈んだ目を閉じた。脳裏にじわりと染み込んだ想いに集中した。デデデの大きな手と、ふてぶてしい声が、魂に響いて感じる。
 目を開ける。瞳に小さな希望の炎が揺らいで煌めいた。
「さがす」
 遠くでただ光を放つだけのキーラなど、カービィはもはや気にならなかった。恐れもせず怒りもせず、ただ仲間を追い求める気持ちだけを募らせ、一歩を踏み出す。

──こえがきこえるなら、まだダイジョウブ。

──それはきっとマボロシだろうけど。

 希望の星は、いやに静かな混沌の中でか細くまたたいていた。

***

「グルメレースだぁ」
 舞台ははるか空の中、カービィは雲の上を駆け抜けて、懐かしい景色に辿り着く。思わず声が平和に間延びしてしまうほどに、その舞台はよく整えられている。
 こんなものは今まで《この世界》では無かったから、キーラが作ったのだろう。しかし、ファイターの思うキーラのイメージとは大分かけ離れている。これまでも何度かそういった場面に一行は出くわしてきたので今やそれほど驚くことはないにせよ、やはり違和感は拭いきれない。
 当惑する一行をよそに、カービィは無言でスタートラインにつき、誰の合図も無しにコースを走り抜ける。落ちている食べ物を拾っては大きな口に放り込み、咀嚼しながら次の標的(たべもの)を捕捉する。あまりの手際の良さに一行は唖然として追いかけるだけで精一杯だった。
 いつもはのんびりとした風を装っていて、食べ物のことになると誰よりも一生懸命。それは誰もが知る小さな桃色の星の戦士の一面だが、グルメにレースという要素が絡むとここまで鮮やかだとは。
 ゴールラインの向こうで形だけの祝福を受けるカービィがいる。どことなく表情は寂しげだ。
「デデデ……」
 誰も立っていない表彰台を見上げて、カービィは呼びかける。
 それに応えるかのように、優勝者の台の上に現れる大きな実像。
 キーラの加護を纏い、紅く鈍い光をその目に宿した《デデデ大王》。
 何も語ることはない。《デデデ大王》はハンマーを構え、挑発的な笑みを浮かべた。カービィは躊躇わず、小さな腕を前に構える。
「たおす」
 そう一言だけ呟いて、その目に闘志の炎をみなぎらせた。
 乱闘は互いの様子見を待たず始まった。

***

 ルカリオは腕を組み、渋い顔で乱闘を眺めていた。
「ダメだ、そんなことでは倒せない……」
 カービィの表情は一見して素直な一生懸命さを示しているが、ルカリオにはどこか複雑な感情の機微が感じ取れた。
 同時期に目覚めながらもデデデとルカリオはさして交流があったわけではない。だが、少なくともルカリオには彼が不快な波導に満ちた存在ではなく、むしろ清々しさをも感じさせる精神の持ち主であることは知るところである。今はキーラの配下にあるとはいえ、その片鱗を感じ取れればと、希望的観測を半ば込めて彼の波導に精神を研ぎ澄ましていた。
 ルカリオの顔は険しい。眉間には皺が寄る。それはまるで怒っているかのように深く刻まれていた。
「……虚しいな」
 ただカービィの心の叫びだけが届く。デデデの感情は一欠片も拾えない。打ち飛ばされるゴルドーも、只の鉄球のように弾んでいるだけに過ぎない気がする。瞳がギラついた紅に染まった《大王》はひたすら機械的にカービィと相対していた。それがカービィを一層と懸命に戦わせる火種となって、過剰なまでに無謀な戦い方をさせてしまう。

 ハンマーを避け、態勢を整えると同時にゴルドーが目の前に迫る。負けじとカービィはハンマーを振るい、打ち返す。そこで咄嗟に距離を詰めていくも、《デデデ大王》は返ってきた針玉を難なく大きな口の中に収めて即座に吐き出した。射出したゴルドーは打って変わって直線的な軌跡で、勢いはより強い。間に合わせで突き出そうとした小さな拳では跳ね返すには至らない。固い棘がカービィの肌に食い込み、身体ごと弾き飛ばす。
 痛みに喘ぐカービィの心の内は、ひたすらの悔しさ。ステージの外から見ることしかできないルカリオはもどかしかった。
 紛い物の肉体に込められたスピリットとは異なり、ファイターの実体にキーラの意思が込められているのだ。スピリットが憑いた場合の特質は無いとはいえ、純粋にキーラの力と意思が込められており、同じ相手に対するいつもの乱闘での戦い方は通用しない。言うなればキーラ流ということである。
 一直線に目標へと突き進むことがカービィの美点であるが、それ故にこの戦いでは裏目に出ている。

 戦っているのはデデデではない。見た目ではデデデとはいえスピリットは別だ。カービィの闘志の矛先はデデデに向けられている。しかしながら、そのデデデはこの乱闘の場には存在していない。だからデデデを意識したカービィの拳や脚は紙一重のところで空を裂いてしまう。
 赤い眼光が傷だらけのカービィを無機質に見つめる。右手のハンマーは垂れ下がり、地面に引きずるような格好。
「あ」
 愕然として、口が半開きになる。
 この棒立ちのデデデに、求めるデデデは宿っていない。
「デデデ……じゃない」
 デデデはこんなにも近くにいるのに、遥か遠くで何者も届かぬ処にいる。ただキーラの手中で黙している。デデデの姿を借りた別のスピリットと戦っても湧かなかった実感をここに来てようやく噛み締めた。
 デデデの姿をした《キーラ》が突進してくる。
 茫然自失のカービィを見て、ルカリオはかぶりを振った。両の掌に小さな波動が揺らめいて弾けた。
 組んだ腕を解き、仁王立つ。
「こうなったら、次は自分が……」
 思わず肩の力が入る。とそこで、唐突に誰かの気配を新しく感じた。

 闘気が萎んだ。
 目が見開いた。
 瞳が収縮した。

──いけ、カービィ。

「これは……」
 幻聴か?
 ルカリオは周りを見渡す。デデデはいない。
 あの声は幻聴なのだろうか。それともスピリットがこの近くに漂っているとでもいうのか。

──いくよ、デデデ。

 同じような波導の揺らぎがカービィの声として届く。
「…………なるほどな」
 こんなに研ぎ澄まされた波導は滅多にない。心の機微を示す波導は音として認識はされないのが常である。
 ルカリオは腕を組み、乱闘の舞台へと再び目を向けた。カービィのつぶらな瞳は真っ直ぐと倒すべき敵を捉えてぶれない。

 玉虫色のオーラが丸い身体を覆う。
 その気配に敵は数瞬、躊躇に揺らいだが、さほどの問題ではないと踏んでゴルドーを飛ばす。
 前のめりに弾むゴルドーを柔軟にかいくぐり、距離を詰める。ゴルドーが消滅しない限りは新たにゴルドーは繰り出せない。
 《キーラ》は大きな口を開ける。
「だからって!」
 カービィはシールドを張って空気の流れさえも遮断する。通用しないと見るや口を閉じた一瞬の隙に、カービィは懐に潜り込んだ。殆ど棒立ちのキーラを掴んで床に叩きつけ、これでもかと踏みつける。重い図体が地面に弾む。何が起こったのか、≪キーラ≫は理解できない。それがデデデの間抜け顔なものだから、カービィは一層と発奮した。
「まだ」
 蹴り上げる。
 蹴り上げる。
 蹴り上げて……。
 蓄積したダメージが徐々に敵の身体を高く弾ませていく。カービィは休まず飛び上がった。
 勢いに圧され、《キーラ》は空中で身体を翻した。この闘いで初めて見せる、回避姿勢であった。
「《デデデ》なら」
 カービィはぼそり呟いた。その目はデデデの大きな目を写す。
「そこでにげなかった、かなぁ」
 カービィは何もしない。軽い身体がふわりと空気の抵抗を受けて軽やかに宙を滑る。
 キーラの無意味な回避がやがて終わり、カービィは右手を上げた。身の丈を遥かに超える巨大な剣が小さな掌から現れる。
「かえせ!」
 短い叫びと共に振るう。
 一閃が捉え、間を置かず、滅多斬る。身体は決して両断も微塵切りにもならないが、宿る光の魂は断末魔の高音を立てながら斬り刻まれていく。
「たぁぁぁぁぁぁ!」
 カービィが喉の奥から心からの声を上げて、最後の一刀を輝かせ、振るい落とす。
 敵は猛烈な勢いで吹っ飛び、抵抗の挙動を示す間も無しに闘いの場から駆除された。

 紙吹雪が吹っ飛びの軌跡の残骸として名残り舞う中で、カービィは意識を朦朧とさせながら、ただ前へ前へと赤い脚を動かした。
 闘いの場からあのグルメレースの終着点に景色は変わる。ダメージは無くなってもカービィはぼんやりと歩みを止めない。
 目の前にはフィギュアが横たわっている。
 ぽて、と小さな桃色の手がそれに触れた。みるみるうちに色と質感を取り戻し、台座が消えて存在が自由となる。

 着物、腹巻、ガウン、帽子の王冠。ちっぽけな家来たち。

 うつらな眼に活気が満ちていく。

 頭をさすりながら身体を起こし、辺りをキョロキョロと見渡す。キーラの姿を追いかけ、ハンマーの柄を握り締める。だが、デデデの目覚めた所には平和としか言いようがないどこか懐かしい光景が広がるばかりであった。
 ふと遠くを見やれば、遥か遠い空には光球が憎たらしいほどに輝いていた。そこでようやく、自分の身に何が起こっていたのかを少しだけ理解した。頭の中に、闇に囚われていた自分自身の光景が走ったからだ。
 埋め込まれた架空の思い出であっても役に立つことはあるもんだな、と半ば呆れつつ。
 まだ多少はくらくらする頭に、さらに響くものがもう一つ。衣服をよじ登ってはデデデの顔に頬ずりするピンク玉だ。
 亜空のあの時とは逆の立場になっちまったかな、と少し感慨深くなるが、あまりの鬱陶しさに大きな掌で玉をむんずと跳ね除けた。
「デデデっ」
 カービィのいつになく上擦った呼び掛け。それは焦りを含んだ調子で、どこか信じられないといった風である。目をも潤ませて訴えかけてくる。
「ったく、ここまで言わなきゃいけないのかよ、仮にも星の勇者がねえ……」
「デデデっ、デデデっ!」
 デデデは自身の大きな胸をどすんと力強く叩いて言った。
「ああ、俺様は確かに『ここ』にいるぜ。《大王さま》が、来てやったぜ」

 涙する小さな勇者の頭に大きな掌が優しくなでた。

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